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ノクトゥムの残響 ②

last update Last Updated: 2025-08-19 18:48:05
「先ほど、フェルミナ・アークに乗り込んだ者がいると言ったね。自然破壊を止める為にラヴィナに会いに行ったと。その者たちは、どういう人物なんだ?」

 イオがアリシアに問いかける。

「はい。リノアとエレナです。二人とも、私とヴィクターと同じクローヴ村の出身で、リノアはノクティス家の血を引いています」

 アリシアは迷うことなく答えた。

 その名が告げられた瞬間、イオの呼吸が浅くなる。

「ノクティス家……その名が今ここで出るとは思わなかった……」

 イオは言葉を継ぐ。

「フェルミナ・アークに行ったのは何かの因果。ノクティス家の血がそうさせたのかもしれないな」

 少し間を置いて、イオは続ける。

「確か、その二人はラヴィナに会いに行ったと言ってたね。ラヴィナは賢い人物だ。今頃は異変を察知して動いていることだろう」

 イオはアリシア、セラ、そしてヴィクター──三人の顔を順に見つめる。

「どうだ? この機に乗じて動いてみないか?」

 イオは椅子から身を乗り出し、前のめりに言葉を発した。

 その動きから、時間がイオの背を押していることを誰もが感じ取った。

「動くって……どういうこと?」

 セラが問い返す。

「フェルミナ・アークにノクティス家の者が向かったのは偶然ではないはず。その動きには何かの意味がある。今はゾディア・ノヴァの中枢に揺さぶりをかける数少ない好機だ。この機を逃すのはもったいない」

 イオは椅子の背に軽く手を添えながら言った。

 窓の外の気配は、まだ消えていない。

 だが、アリシア、セラの胸の奥には、その恐怖とは異なる感情が芽吹いていた。

 それは、選択の予感──守られるだけでは終われないという、確かな目覚めだった。

「僕も……動くのですか」

 ヴィクターが恐る恐る問いかけた。

「君は狙われる可能性がある。一人にならない方が良い」

 イオは即座に答えた。その口調に迷いはない。

「私もそう思います。ヴィクターさんなんて、向こうから見れば立派な“裏切り者”ですからね」

 セラが肩をすくめて言った。

 その言葉は冗談のようでいて、針のように鋭い。

「裏切者って、そんな……」

 ヴィクターは言葉をこぼし、目を伏せた。

「これは、もう動くしかないわね」

 言葉と同時に、アリシアの視線が前方へと向けられた。

 その一言が、場の空気を引き締める。

「だが、現状では力が足りない。もっと多く
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